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今日は、祭典準備ということで掃除やら調饌やらとあれこれやることがあったわけですが、特に今日は以前から気になっていた塀の汚れを高圧洗浄機で掃除をしました。


それにしても見事に落ちます!

すごいです!

ケルヒャー最高です!


そんな中、水圧でみるみると汚れが落ちていく様子を見て、ふと『みかぐらうた』の一節が思い浮かびました。


水と神とは同じこと 心の汚れを洗いきる

引用元:『みかぐらうた』五下り目


水が汚れを洗い流すように、神様は人間の心の汚れを洗いきってくださるということですが、ちょっとした汚れなら少しの水でも洗い流せるでしょう。


しかし、頑固な汚れはどうでしょう。


ちょっとやそっとでは落ちないですよね。


やはり、高圧洗浄のように、水に圧力でもなければ落ちません。


つまり、人間の心の汚れを神様が落とそうとしたとき、その汚れの度合いによって、神様の力の入れ具合も変わってくるのかもしれない、そんな思いに至りました。


今日はここまで。

今日も一日ありがとうございました。

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本日は埼玉県行田市にある東行田分教会の春季大祭を勤めさせていただきました。


ここもまた昨日お参りした志木分教会同様、教会長が常住しなくなって数年が経っておりますが、関係の方々のご尽力で月々の祭典を欠かすことなくお勤めいただいております。


実は、この教会、今は亡き当教会の9代会長が、昭和23年から25年間、教会長を勤めておりました。


当地に来た当初は何もなく、まさにどん底の布教生活であったようで、神様への御神饌にも欠くような状況であったとのことです。


こんな写真が東行田分教会の玄関に飾ってあります。

時代を感じますね……。


きっと大変な道中であったと思うのですが、当時を知る人たちは、楽しい思い出としていろいろな話を聞かせてくれます。


時という魔法が思い出を浄化していくということもあるのでしょうが、やはり時機に応じた苦労というものが、後々の楽しみへとつながっていくのかなあと漠然と思った次第です。


今日も一日ありがとうございました。

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今日は、埼玉県志木市にある志木分教会の月次祭を勤めさせていただきました。


明治31年の創立以来、移転することもなく、親神様には当地にお鎮まりいただいております。


しかし、長年常住する人もなく、通いで神様のお守をされていた教会長さんも高齢により勤めかなわなくなり、現在は月に一度の月次祭を勤めるに留まっております。


教会の本来のあり方からすれば、誠に申し訳ない限りで、誰でも常にお参りいただけるような環境を整えたいとも思っております。


ただその一方で、このような環境ゆえに、静かな祈りの場がそこに立ち現れていることもたしかで、月次祭の勤修を通して、どことなく、いつもにも増して、神様と正面から向き合えた気がしています。


そういった意味では、祈りという信心の原点を改めて教えてもらった静逸な月次祭でありました。


本日も一日ありがとうございました。


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